常識を常識だと思うようになった途端に他人の価値観で生きる人間になる
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こんにちは。ダテカイです。
今回は頭のいい大人の方には少し難しい内容です。
皆さんは普段、物事常識を疑いながら、考えながら生活していますか?
例えば、
「なんで飛行機はあんなに重たい体をしてるのに空を飛べるのだろう」
とか
「なんで自分は電車でスマホゲームをしているんだろ」
とか。
常識を常識だと思う人は、
翼とかしっかしりてるし、エンジンがすごいからじゃない?
とか、
ゲームが楽しいから。
とか、曖昧な理由で答えます。
人は常識を疑わなくなった時点で、他人のレールで生きることになるのです。
よくよく考えてみると、
小学校低学年の時は、
ケンカ相手の一人が泣いてしまい、周りがガヤガヤしだし、
「なに泣かせているの?お前が悪いだろ」
とか、どっちも罪があるのに、急に泣かせたやつだけが悪いみたいになってしまうのが許せなかった思い出がありました。
他には、
なんだか知らないけど、
突然先生に呼び出されて行ってみると、先生のとなりに一人同級生がいて、先生に
「岩舘君に〇〇されて傷ついているんだって」
っと言われ
「いや覚えてないですし、本人に嫌だとも言われてません」
と言い返したら、その子が
「いや、何回も言いました。」
と言ってきて、めんどくさくなったのか先生が
「この子が嫌がってるんだから、謝らないと」
っという理不尽なことで、謝らされたりしました。
この二つの話に、子供が常識を疑わなくなるような人間になる共通点があります。
それは、これはこういうものだと思ってしまうこと。
つまり、どっちが悪い罪でも泣かせた奴のが悪いと思ってしまっていること。
先生(自分より身分が上のもの)に従わないといけない(上の人はいつも正しい)と思ってしまっていること。
これらが重なっていくと、
段々、WHY?
が、生まれなくなってしまい、自分で
「これはこういうものなんだ」
と言い聞かせるようになり、
常識を疑わない、他人の価値観で生きるようになった人間が完成します。
まぁ、学校教育は明治時代のときから今も変わっていなくて、工場で働かせるために業務に支障の出ない平均的な人間を育てるように出来ているからしょうがないですね。
未だに、僕も知らずに常識を常識だと思っている部分もありますが、
普段から周りキョロキョロを見たり、他人通しの話を聞いたり、分からないことがあったらすぐググったり、人に聞いたりして、ナゼをほったらかしにしないようにしてます。
例えば、東京には高いビルが建ってますよね?
でも普通の人は
あのビル大きいね〜!っと思ったり、
素通りするパターンがあります。
僕が思うのは、
またこんな大きい建物建てて大丈夫なのかな?
っと思います。
いや、つまり100年後のことや解体のこととか考えてるの?
とか思うのです。
まぁ、結果考えてないらしいんですけどね笑
(解体業の方から聞きました。)
ともかく、
視点を広くするなら、これはコウイウモノダ。
と抑えつけるより、
数学の公式を丸暗記するのではなく、
なぜこの公式が出来上がったのか?
なぜこれはこうなったのか?
を考えると、自分ごと化できて、街を歩くのが楽しくなったり、視野が広くなったりして、自分の可能性が広がるわけです。
ではまたʕ •́؈•̀ ₎