完璧なコンテンツよりも余白のあるコンテンツの方が記憶に残っている件について
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こんにちは!イベント大好きダテカイです。
皆さん、何かの物事に挑戦するにあたって、「自分は完璧なってからじゃないと、アウトプットをしにくい!」とか思っていたりしませんか?
もちろん、完璧は悪くはないです。
ですが、僕の経験上、ガッチリしたイベントよりも、ゆるくて少し不完全なイベントに参加した方が記憶に残っていたりします。(もちろんすごいコンテンツのも覚えてますよ!)
それは一体何故でしょうか?
皆さんの学生時代を思い出してみて下さい。
先生によって覚えている授業や、覚えてない授業がきっとあるはずです。
覚えていない授業は、全部同じテンポで淡々と教科書を進めていることが多いのではないでしょうか?逆に覚えている授業は、テンポの強弱があり、たまに雑談をしてくれることの方が多いのではないでしょうか?
つまり、ガチガチのロボットのカタイ授業の方が頭に入りにくいわけです。
僕がイベントを開催するときは、敢えて余白を残しています(てか、残さなくても余白が出てきてしまうw)。まぁ、加減はありますが、ガチガチのイベントより余白のイベントの方が皆さんが「この子は危なっかしい!助けてあげなきゃ。」って、みんな自分ごとのように助けてくれたりします。
僕はこのような形のイベントの方が皆さんの頭の中に記憶されやすいのではないかと考えました。
その決定的な理由は、差別化です。完璧な(完璧に近い)イベントほど世の中に沢山あるから。
ただ、余白だらけのイベントはそこまで多くないので記憶に残りやすいです。
さらに余白には、人が入る隙間がある。みんなが率先してその隙間を埋めてくれる。自分ごと化できさらに記憶に残りやすいイベントとなるでしょう。
学校では「苦手なことを得意にする」ことを習うけど、これはもう意味がない。いま必要なのは「得意なことをやってあげる」ことで、みんながそうすれば「苦手なことをやってもらえる」。これからはどれだけ「自分の苦手なこと」を得意な人と仲良くなり、どれだけ効率的にカンニングするかが問われる。
— プロ奢ラレヤー🍣 (@taichinakaj) 2018年3月24日
すごい人たちの完璧なセミナーや、楽しいイベントは憧れますが、その人に今すぐ近づけないと思い、行動を辞めてしまうのはもったいないです。
余白があっても楽しいコンテンツは出来るし、みんな無理して苦手なことはしなくてもいいんですよね!
では、今日はここまで。
また明日です(^ ^)